内容物は洗浄され、食用にならない部分は
内容物は洗浄され、食用にならない部分は取り除かれる。内容物によっては調理などが行われ、缶に入れられ、場合によっては調味液が入れられる。缶内部の空気が抜かれた状態で封がされる。この後、加熱殺菌される。殺菌温度や時間も内容物により異なる。最後に打検棒でたたいて内容を検査する。これは検査官が、音で内容物の状態を把握するというものである。打検技術者の資格試験が1976年6月以降行われていないため、日本国内で資格を持つ打検士は少ない。
遠征における食料補給の問題に悩まされていたナポレオン・ボナパルトによる懸賞にこたえ、1804年にフランスのニコラ・アペールにより長期保存可能な瓶詰めが発明されたが、ガラス瓶は重くて破損しやすいという欠点があった事から、1810年にイギリスのピーター・デュランド(Peter Durand)が、金属製容器に食品を入れる缶詰を発明した。これにより、食品を長期間保存・携行することが容易になった。ただし、初期のものは殺菌の方法に問題があり、たびたび中身が発酵して缶が破裂するという事故を起こした。これはのちに改良された。 また、1833年にはフランスのアンシルベールによって、缶のふたの回りをはんだ付けし、熱で溶かして缶を開ける方式が考案された。その後、1860年代にブリキが発明されてからは、缶切りが登場するようになった。
缶詰は、初期には主に軍用食として活用された。特に、アメリカ合衆国の南北戦争で多く利用された。のちに一般向けにも製造されるようになり、現在では、災害対策用の備蓄用食品(非常食)としても利用されている。
当初、缶切りは発明されず、開封は金鎚と鑿を用いる非常に手間のかかるものだった。戦場では缶を銃で撃って開けることもあったが、撃たれた衝撃で中身が飛び散ってしまい使い物にならなくなることも多々あったという。このため内容物が固形物に限られ、液状のドリンク類は入れられなかった。缶切りが発明されると液体なども入れられるようになり、内容物のバリエーションが広がった。さらに缶切りが無くても開けられる様にプルトップ(イージーオープン缶)が発明された。
日本での初めての製造は、1871年に長崎で松田雅典によってフランス人の指導の下、イワシ油漬の缶詰の試作が行われたとされている(この段階では缶詰という言葉は存在していない)。
本格的な生産が始まったのは1877年10月10日、北海道石狩市で石狩缶詰所が創業したことによる。初期にはアメリカ人の指導の下、サケ缶が製造されていた。このことから日本缶詰協会はこの日、10月10日を缶詰の日と定めている。当初は缶詰は管詰と綴られた。
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明治時代には、主に海外向けの輸出用、国内向けには軍需用として生産されていたため庶民には普及しなかった。当時の缶詰の価格は1缶が20から35銭で、白米1升が7.65銭であったことから、いかに高価な食品であったかが判る。(出典:日本缶詰協会創立80周年記念「缶詰業界の歩みと団体の活動」)
本格的に普及するきっかけは、1923年の関東大震災以降で、アメリカから送られた支援物資に缶詰が用いられたことによるものとされる。
日本では、缶の底に賞味期限を刻印することが義務付けられている。底面の3行の文字列のうちの2行目が賞味期限表示で、「041010」は賞味期限が2004年10月10日であることを意味する。表示には日を省略し、「0410」(2004年10月賞味期限の意味)でもよい。1997年3月31日製造分までは、この表示が製造年月(日)表記のものもある。また、非常に古い缶詰の中には、製造年を下1桁のみ表し、10月製造を「0」、11月製造を「Y」、12月製造を「Z」と表した時代もあった(例:1982年11月30日製造=「2Y30」)。これは製缶機の刻印能力に限界があったためであった。
日本での缶詰の消費量は、日本缶詰協会によれば4,080,000トン(2002年推計)。ただし、缶ビールと炭酸飲料、スポーツドリンク類を除き、缶コーヒー、果汁飲料の缶ドリンクを含む。250g缶相当で一人あたり165缶で、ドリンク類を除くと37缶である。レトルト食品などの売り上げが伸びており、缶詰の消費量は若干減少傾向にある。